嵯峨天皇後裔系図

 

後裔天皇       仁明天皇後裔
派生氏族       渡辺氏族松浦氏族
派生姓氏       北辺・東三条・広幡・陽院・賀陽院・楊梅・横川・
西七条・河原・田中・竹田・坊門・四条
渡辺・松浦・赤田・鵜飼・大野・河原・杉浦・滝・丸山・向山・和田鍋・渡多辺・渡那辺・渡部・綿鍋
亘鍋・競・渡庭・北辺・簑田・中屋・白井・曽根崎・峰・滝口・田平・佐志・神田・波多・志佐・有田
大河野・山代・森田・鷹島・原・小値賀・御厨屋・相知・鮎河・牟田部・佐世保

 

 
嵯峨源氏は、第五十二代嵯峨天皇の皇親への「源朝臣」の賜姓に始まる。 実は、この嵯峨源氏こそが源氏賜姓の嚆矢である。 弘仁五年(814年)、嵯峨天皇は賜姓についての詔勅を出している。 これを要約すると、『天皇には子女が多く、それぞれ親王家を立つるときは、経費が多大となるので、この姓氏を賜い臣列に降下せしむ・・・・・」 のごとくである。上記のように主として皇室の経済的事由によって、嵯峨天皇の五人の親王と十三人の内親王を除く、十七皇子と 十五姫に源朝臣を賜った。以上の嵯峨源氏はすべて一字名を用いている。 この特色ある一字の命名は、漢詩文の大家である嵯峨天皇の発意であろうと思われる。
【武門の名流】
嵯峨天皇は、桓武天皇の第二皇子で、延暦五年(786年)に山城国長岡で誕生。 母は藤原乙牟漏で、平城天皇とは同母の兄弟である。 二十三歳で即位し、在位は十四年。 嵯峨天皇は詩作に優れ、『凌雲集』と『文華秀麗集』の勅撰詩集を編み、文人天皇としての特色を十分に発揮した。 また、空海・橘逸勢とともに三名筆といわれ、その筆法は流麗・闊達であった。
賜姓源氏第一号は、嵯峨天皇の第七皇子の源信である。 貞観八年(886年)、平安京内裏の応天門が炎上するという事変が起きた。 これは、時の大納言伴善男が政敵の左大臣源信を陥れるために仕組んだ放火であった(とされる)。 事変は太政大臣藤原良房によって理非が明らかにされ、伴善男と共謀者の紀豊城は流罪となって追放された。 国宝『伴大納言絵詞』はこの事変を描いた絵物語である。
源融は嵯峨天皇の第十八皇子である。嵯峨源氏の中でも融が最も著名で、中納言・大納言を経て左大臣となり、従一位にすすむ。 第五十七代陽成天皇が退位して皇嗣を決めるとき、源融が次の天皇に推されたことがあったが、臣籍のゆえを持って実現しなかった。 源融の二代昇は、融の跡を継いで大納言となる。三代仕は東国に下向。武蔵国箕田に居館を営み、武藏守に任ぜられる。 四代宛は箕田に生まれ、父仕とともに西海で藤原純友を討つが、二十一歳で病没。 五代綱は父宛の亡くなった二十日後に、武蔵国荏原郡三田で生まれたが、不幸にして出生十日後に母を喪う。 しかし、宛の姉が仁明天皇の皇子、右大臣源光の孫で左少将源敦の妻となっていたので、この伯母に引き取られ、摂津国渡辺で成人し、渡辺氏を称する。 やがて、綱は六孫王経基の嫡男満仲(綱の外祖父)に庇護され、長じて満仲の子源頼光に仕えて、四天王の随一といわれた。 綱の後裔は源頼政に仕え、その後は代々武門の家柄であった。 室町幕府に仕え、織田・豊臣の時代を経て、徳川氏に従う。 三河の渡辺半蔵は徳川十六神将の一人となり、その子孫は和泉伯太藩主(一万三千石)と尾張徳川家の家老(一万石)となる。 また、二十余家の渡辺氏が幕臣旗本となる。渡辺綱氏を立ててより一千年余、渡辺氏は各地に敷衍し、現今、八十五万を数える大姓となる。
渡辺綱の子、久は正暦年中(990〜995)に肥前松浦に至り、在名により、松浦氏を名乗る。 その一族が連合して松浦党を組織し、強力な水軍に成長する。 松浦水軍は源平合戦・元寇・南北朝合戦に活躍。豊臣秀吉の西国征伐には、松浦隆信・鎮信の父子が降伏し、本領を安堵された。 江戸時代には、平戸藩(六万二千石)と平戸新田藩(一万石)の二家に分かれた。 幕末期、平戸藩主松浦煕(嵯峨源氏の一字名を受け継ぐ)の十一女愛子は、公家の中山忠能に嫁し、慶子を生む。 慶子は孝明天皇の典侍となり、明治天皇の生母となる。このことは、嵯峨天皇の皇子源融を祖とする松浦家にとって、 皇室との血縁が復活したということになる。
 
嵯峨天皇後裔略系図
嵯峨天皇 -- 仁明天皇 (→仁明天皇後裔
|- 秀良親王
|- 業良親王
|- 基良親王
|- 忠良親王
|- 淳王
|- 信(源) --
| |-
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| |-
| L -- -- --
| L
|- 弘(源) --
| |- --
| |-
| |- -- --
| |-
| |- -- --
| | L -- --
| | |- --
| | L L
| |- -- 沿 --
| | L |-
| | L
| |- -- --
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| |- --
| L
|- 常(源) -- --
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| |-
| L -- -- --
|- 寛(源) --
| L
|- 明(源) -- -- -- --
| |- |- | |-
| |- |- | L
| L L |-- --
| L --
|- 定(源) -- --
| |-
| |- -- -- -- --
| | L --
| |- --
| |- --
| |- --
| | L
| |- --
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| L
|- 鎮(源)
|- 生(源) -- --
| L
|- 澄(源) -- -- --
| |- L
| |-
| L 調
|- 安(源) --
|- 清(源)
|- 融(源) -- --
| | |- --
| | |-
| | L
| |-
| |- -- -- -- --
| | | 蓑田 渡辺 松浦
| | |- -- -- -- -- -- -- -- --
| | |-
| | | 蒲池
| | |- 是茂 -- 師世 -- 貞清 -- 末行 -- 満末 -- 定宗 -- 久直
| | L 衆望
| |- --
| L -- --
| |- --
| L -- 兼芸
|- 勤(源) |-
| |- -- -- --
| |- --
| |- L --
| L -- --
|- 勝(源) -- --
|- 啓(源) |- -- --
| L L L
|- 賢(源)
L 継(源) --
 
天皇家略系図 桓武帝後裔諸氏族