抗癌剤治療

抗癌剤は怖い」という考えをもっている人は少なくないようです。 「抗癌剤=激しい副作用」というイメージが根強いためですが、 抗癌剤の進歩、副作用の予防法や対処法の進歩などによって、副作用はかなり抑えられるようになって来ています。

■癌治療

従来、「早期発見、早期切除が癌治療の鉄則」とされてきましたが、近年、さまざまな研究が 進むにつれ、”癌の性格”や”癌の挙動(立ち居振る舞い)”というものがわかってきた結果、 癌の最適な治療を考える上で、「早期発見、早期切除だけでは不十分」だと言われるように なってきました。

例えば、癌の中にも、局所にとどまりやすいタイプと転移しやすいタイプがあることなどが わかっています。局所にとどまりやすいタイプの癌の場合は、病巣を手術で取り去ることが 治癒につながります。他方、転移しやすいタイプの場合は、はじめに癌が発症した部位(原発巣) のほかに、検査でも見つけることのできない微小転移が全身に起こっている可能性があります。 このような微小転移が起こっていれば、手術で原発巣を取り去っても、いずれ微小転移した癌が 増殖して、画像検査で目に見える大きさになったり、何らかの症状が現れたりするようになる 場合もあります。

つまり、早期に発見して手術を行うことが、治癒につながらないケースもあるのです。 そこでこのような場合には、癌を全身性の病気ととらえ、局所の治療と並行して、 『抗癌剤』を用いるなど「全身に対する治療」を行うことが大切です。 このような考え方は、特に乳癌などの治療では主流になってきています。


●世代交代しつつある抗癌剤

「抗癌剤」による薬物療法が始まったのは第二次大戦後です。1950年代には、白血病や悪性リンパ腫に対し、 ナイトロジェンマスタードやメトトレキサートなどの化学薬品が抗癌剤として効果を示すことが 実証されました。その後、60年代にはビンクリスチン、フルオロウラシル、 70年代には塩酸ドキソビルシン、80年代にはシスプラチン、90年代にはバクリタキセル、ドセタキセル などというように、多くの抗癌剤が開発されてきました。

これらはいずれも「細胞毒性抗癌剤」と呼ばれるタイプで、体の細胞にとって毒性のある物質から 作られています。正常な細胞は、癌細胞より抗癌剤による傷害からの回復が早いので、 この差を狙った投薬スケジュールの工夫により、治療効果をもたらすことができます。 しかし、抗癌剤は、癌細胞に多く取り込まれる性質があるものの、癌細胞だけでなく 正常な細胞に対しても毒性を発揮します。そのため、強い副作用があります。

◆分子標的薬の登場

最近よく耳にする『分子標的薬』とは「癌細胞だけを集中攻撃する抗癌剤」です。 開発の背景には、癌の分子生物化学的な研究が進み、癌細胞の分裂・転移などの挙動(働き) にかかわる分子の一部が特定できるようになったことがあります。 その分子を標的にし、作用を加えようとする薬が分子標的薬です。 その開発に当たっては、分子の構造を解析して標的を定め、コンピューターによって薬剤の設計がなされることもあります。

現在、日本で使われている主な分子標的薬には、悪性リンパ腫に用いられるリツキシマブ、 慢性骨髄性白血病に用いられるメシル酸イマニシブ、転移性乳癌に用いられるトラスツマブ、 非細胞肺癌に用いられるゲフィニチブ、などがあります。 このうちリツキシマブ、トラスツズマブなどは”抗体”、ゲフィチニブ、メシル酸イマチニブなどは、”小分子化合物”に分類されます。

ピンポイントで作用し、副作用が少ないという長所から、新しい分子標的薬の開発が続き、 今後、癌の治療薬の中でますます分子標的薬の比重が増すことが予想されます。 副作用が従来の抗癌剤より少ないとはいえ、分子標的薬に毒性がまったくないというわけではありません。 ほとんどの分子標的薬に何らかの毒性があり、従来の抗癌剤では見られなかった副作用が起こることもあるので、注意が必要です。

◆分子標的薬の実際

例えば転移性乳癌に用いられるトラスツマブは、次のように使用されます。
トラスツマブは、乳癌細胞の表面にある「HER2」というたんぱく質を標的にした製剤です。 HER2たんぱくは、癌細胞の増殖に必要な物質を取り込むための受容体の一つです。 このような受容体を介して”増殖しろ”との司令が癌細胞に伝えられるのです。 乳癌患者のうち2割前後は、癌細胞中にHER2遺伝子が過剰に存在しています。 このような「HER2強陽性」のタイプは、癌細胞の増殖が速く、転移しやすいことが知られています。 そこでHER2たんぱくに結合するトラスツマブを使って、その働きを阻害しようというものです。

また乳癌では、トラスツマブがHER2強陽性で転移性乳癌の患者に限って使われますが、 細胞毒性乳癌剤が使われるほか、ホルモン剤もよく使われます。 乳癌では、女性ホルモンを取り込んで増殖するタイプが全体の6割前後で、 このタイプには、女性ホルモンの働きを阻害するホルモン剤の効果が期待できます。 女性ホルモンを取り込むホルモン受容体の量を調べることによって、その患者にホルモン剤の効果が 期待できるかどうかを知ることができます。ホルモン剤には、手術後に転移や再発を抑えたり、 進行・再発性の乳癌の進行を抑えるなどの効果があります。


●抗癌剤の主な副作用と対処法

抗癌剤は種類によってさまざまな副作用があります。副作用には、自覚的な副作用と、 検査などでわかる他覚的な副作用がありますが、その現れ方には個人差が大きいという特徴もあります。 また、抗癌剤の進歩、副作用の予防法や対処法の進歩によって、副作用はかなり抑えられるように なってきています。自分が使用する抗癌剤で現れやすい副作用、現れる時間、回復する時期などを 前もって知っておくことも大切です。担当医からよく説明を受け、理解を深める必要があります。 主な副作用とその対処法は以下のとおりです。

▼吐き気、嘔吐
治療開始直後から24時間以内に起こる「急性嘔吐」、24時間以降に起こる「遅延性嘔吐」、 過去の嘔吐の記憶による「予期性嘔吐」があります。脳の延髄にある「嘔吐中枢」を 抗癌剤が刺激するために起こります。現れ方には、抗癌剤の種類による差や個人差があります。 吐き気止めの薬の点滴や内服により、予防が可能です。

▼好中球減少、貧血、出血
骨髄の造血細胞が受けるダメージによって、一時的に白血球の1つである「好中球」 が減少することがあります。好中球が減少すると、細菌に感染しやすくなりますが、 一般に治療後3週間ほどで回復します。発熱した場合には、抗菌薬を内服したり、 好中球を増やす注射薬を使うこともあります。 また、赤血球の減少による貧血、血小板の減少による出血傾向などが一時的に起こること もありますが、一般に治療後3週間ほどで回復します。

▼脱毛
毛髪を作る細胞がダメージを受けるために、脱毛が起こることがあります。 脱毛が起こりやすい抗癌剤には、塩酸ドキソルビシン、塩酸エピルビシン、 パクリタキセル、ドセタキセルなどがあります。 一般に、脱毛は治療開始後2~3週間で始まり、最終治療後2~3ヶ月ほどで 回復し始めますが、有効な予防法はなく、かつら、帽子、スカーフなどで対処します。 精神的な苦痛を受けることが予想されるので、あらかじめ、心の準備をしておくことも重要です。

▼便秘
水分不足、抗癌剤や吐き気止めの副作用などによって便秘が起きることがあります。 水分の補給や腸の蠕動運動を促す薬などで対処します。

他に「手足のしびれ」「口内炎」「倦怠感」「むくみ」「爪や皮膚の色素沈着」「下痢」などが 起こることもありますが、いずれも一時的なもので、抗癌剤治療が終われば回復します。

◆抗癌剤治療も移行期

患者の置かれた状況によって、抗癌剤治療の目的も違ってきます。 抗癌剤治療の目的には①治癒②延命③症状緩和④QOLの改善の4つがあげられます。 残念ながら、すべての患者に治癒が望めるわけではありませんので、その患者に最適の方法が選択されるべきであると考えられます。 また、手術療法が拡大手術から縮小手術へと移行しつつあるように、抗癌剤治療も”大量投与”から”小刻み投与”へと変わるなど、 今は移行期にあるといえるでしょう。 一時は、悪性リンパ腫や急性白血病など、血液の癌の治療で効果をあげたように、 乳癌、卵巣癌、胃癌などの「固形癌」に対しても、抗癌剤の大量投与が効果をあげるのではないか、と考えられていました。 しかし現在では、血液の癌と固形癌では、増殖のパターンが異なることがわかってきて、抗癌剤の投与方法が見直され、 小刻みに投与する方法も広がってきています。 患者の身体的負担が軽減されたことによって、抗癌剤の日帰り治療が行われることも多くなってきています。